新陳代謝が早いとも思われるWeb開発の仕事は、私の経験から見てかなりナメられた仕事の様に思います。
ナメられた、と表現は悪くなってしまうものの現実にはそのままです。
開発者がこれらの仕事に一生懸命取り組む姿は過去の様々なプロジェクトを見てもおおよそ同じで、一言で表すのならば「上に立つ人間が現場を理解していない」という一言に尽きます。
IT業界と囲われる職業自体が歴史的にも新しい仕事であるが故の副作用といいますか、成るべくしてその様に在る、といったところでしょうかね。
それこそ、一方で衰退していると言われる「宮大工」などの職業はどうでしょう。私はこの「大工」という職業に就いたことが無いため想像の域となってしまうのですが、棟梁の熟練した教えが見習い大工へと時間をかけて伝授されていく、そんな様子を想像します。
IT業界、Web開発においては新陳代謝(人材や技術の入れ替わり)が激しく「大工」の仕事のようなそんな流れがほぼ取れていないのが現実でしょう。
明日には新技術が出てきて、昨日まで一生懸命覚えた言語法則が殆ど役に立たなくなり、週明けには部下が辞める、といった事態も若干言い過ぎな状況では有りますがそれほど過言ではいように思います。特に人材が入れ替わる場合は開発現場への影響はあからさまです。人材が去っていく=つまりは辞めていく理由も複合的にこの辺りに絡んでくるわけです。
上司にもよるのでしょうが「パソコンの使い方」と「人間との付き合い方」etc,,, と、伝授できるのはそんなものでしょうか。技術の伝授なんてものはまるでありません。方向性を見失わないように指導するのが上司の役割、かもしれませんね。
私は、雇われ者〜経営者、の役を通じてこの繰り返しの渦にかれこれ20年程巻き込まれてきたわけですが、振り返れば「技術的」な事はほぼ全て自分で勉強して身に叩き込んで来ました。
おそらくですが、今の若手(20代〜30代)の方も同様でしょう。
よく覚えているのは「人間との付き合い方」を上司に教わった=勝手に覚えた、ということです。
例えば、取引先に出向いた際の上司の取り回し方や話の仕方、それを見て学ぶ訳です。今思えば、これはとても貴重な経験ですね。
稀に上から目線で教え込もうとする上司がいましたが、これはその時の見習いの立場からするとまるで耳に入りません。うるさい、と思うわけです。今も昔もこれは変わってないのかな。
「パソコンの使い方」など今の若手はほぼ理解が有る前提で企業に入社します。ということはもう一つの「人間との付き合い方」を教えたら「お役御免」となるのが上司の宿命となっているのです。
その前にもう一つ「現場を理解する」という重要な役割をこなすのが上司としての最大の仕事だと私は思うわけです。ただこれには、相当なぶ厚い壁も存在するでしょう。
掲題にしました「Web開発はナメられているのか」は「誰からナメられるか」を含め私からこのブログを見ていただいている皆さんへの問にもなるのですが、日本市場ではこれらの解決にはなかなか時間のかかる状態なのかな、と言うのが私の一つの答えです。
「誰から」→ 目上の関係者、お金を出す人(経営者、出資者)
現場を理解できない、つまりは「Yes」なのです。
※勿論このサイクルに陥っていない良い現場も有ることでしょう。
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