先日、LINEの「ドラえもん」アカウントから偶々見た雑誌「大人も読みたい藤子・F・不二雄100」を、それこそ雑誌を手に取るのも数年ぶりという状態でしたが、Amazonで購入しました。
いつの日からか、あの頃、身近なはずだったドラえもんは身の回りから遠ざかり、ココロの中でも見え隠れしていました。(どうせ、漫画キャラクターの一つでしょうという大人的発想です)
この雑誌には、ドラえもんに限らず、藤子・F・不二雄さんの作品原画が数多く掲載されておりましたが、やはり表紙にもなっているこのシーンは、多くの人が心に染みる一コマでしょう。
これだけで衝撃を受ける一コマは、私の中では他に有りません。それは、この時点に到達するまで、漫画ドラえもんの中で様々な展開が描かれており、それを知っているからこそ、とうとうこの日がやってきてしまったかという感情が生まれるからでしょうか。危うく涙がこぼれそうになるような、そんな一コマです。
小学生の頃に漫画ドラえもんの単行本を読み漁り、それにより新しい世界観を得た事は今でも忘れていません。
あの頃、こんなこと現実にあるかなぁと思いながら、机の引き出しを何度も開けてみたっけなぁ、恥ずかしながら私はこの様な生い立ちでもあります。
今は亡き、藤子・F・不二雄さんですが、一度はお目にかかりたかった、たわいない私のような一個人は特に憧れを持つ、そんな才能のある方なのでしょう。
日本に限らず、世界中に今でもドラえもんの世界が広がり続けているということは、本質的な影響力が大きかったのだろうなぁと、感心してもしきれない、作品の凄さは私のような人間がどうこう言える様なものでは有りません。
さて、この一コマについて思うことをあれこれ列挙しようといたしましたが、止めることにいたします。
ここから感じるものは、それぞれ個人の思うところであり、そしてそれぞれが大切なものだと思うからです。
それでも一言だけ、
物事にはいつかは終りが来るということです。
そしてまた何かが始まる。
私は仏教思想の持ち主でもありますが、なかなか厳しい世の中だと感じるのはいつの時代も一緒の事なのだろうと、
幼少の頃は楽しくもあり、それはそれで大変でもあり
大人になったら楽しくもあり、それはそれで大変でもあり
楽しさと苦労のバランスを損なわないように生きていくことが、私はドラえもんから学んだことの一つですね。
ありがとう!ドラえもん
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